レディースファッションの先駆け、花邑から「つきや」に

 

 こぎんを刺している人ならば、知らない人はいないであろう「つきや」。弘前市土手町にある店には、こぎん用品が半分を占め、種類豊富な糸や布を真剣に選ぶお客さんや、珍しそうに眺める人達で連日賑わっている。

 

「県内外はもちろん、海外からのお客様も来られますよ」と話すのは、代表取締役の竹内隆さん。「つきや」になってからは、2代目になるという。

 

 手芸店としての歴史は古く、戦前から既に「たけうち商店」として土手町に店を構えていた。初めは糸と針のみの販売だったが、高度経済成長もあり徐々に布などの販売も増やしていったという。「丸一商店」と名前を変える頃には大きなファッションビルとなり、洋服のオーダーメイドも請け負うように。1965(昭和40)年頃には「レディスショップ」に改名し、弘前市の婦人服の走りとして長く知られることとなる。

 

 そして、その何年か後に入ったこぎん刺し用の布と糸と針の問合せをきっかけに、こぎん用品に力を入れていくこととなった。それが、故・前田セツさんだった。今となってはつきやは伝統的なこぎん用の布と糸を販売していることで有名だが、当時はこぎん用品は扱っていたものの、模様が縦長になる織り方で作られた布などは、全国的には需要がないため制作もされていなかった。そこで、前田セツさんが当時の手芸売り場を任されていた竹内さんの父がに声をかけ、試行錯誤の末出来上がったものが、今もつきやで販売されているのだ。

 

 伝統的な技法で織られた布は、刺したこぎん模様が縦長になるのが特徴。同じ図案で作ったとしても、現代の布では正方形になってしまうという。

 

前田セツさんの教室用として、「花邑」と共同作成された教本。その後、海外用としても英語版も作られている。
前田セツさんの教室用として、「花邑」と共同作成された教本。その後、海外用としても英語版も作られている。

 

 好調に店を続けてきたが、時代の流れもあり平成12年夏に惜しまれながら花邑が解散。しかし、こぎん用品はもちろん、当時他店では取り扱われていない商品も多く、懇意にしてくれているお客さんに迷惑がかかってしまうと、父、母、隆さんの3人で「つきや」を設立。弘前市銀座街の貸店舗で3年間営業し、その後土地が空いていたため、花邑の跡地に移店した。新しい店名は竹内さんの父が調べた文献で発見したもので、昔城に奉公していた時の名ではないかと言われている。

 独自で開発した商品は、一般に流通しておらず、遠くからも足を運ぶ人が後を絶たない。竹内さん自身も縦長の図案になる方眼紙を制作し、伝統的な模様を刺すときに役立つと評判だ。

「新幹線新青森駅開業前に、地元の観光や食、民芸品などをテレビで紹介されてて。こぎんもその頃から徐々に広まっていたと思う」。

 特別に注文しているため大量生産は難しい。色ムラ、織ムラ、糸つなぎが出てしまうこともあるため、業者に卸すことなく、自社の責任で販売を続けているという。全国発送も行っているが、実際に触ってみないと分からないと、実際の布と糸をカタログにして販売もしている。それでも、店頭に並ぶ商品は種類も数も多いため、直接訪れる人が多いのだ。

 今、手芸業界に限らず経営不振や跡継ぎ問題で取引先が減りつつあり、商品の維持が難しくなってきたそう。円安による値上げもあり、材料の調達が厳しくなってきたと竹内さんは話す。

「出来ることはやっていきたいです。若い人が可愛らしいこぎんから入って、昔の物も知ってくれるといいですね。私達は裏方として、それを支えていければと思っています」

(記事内の情報は2016年取材当時のものです)