コーヒーとの出会い 魅力の元を知りたい

 

「当時弘前市の駅前にあった喫茶店で、やぐらに布をかけてつくっているコーヒーを見て『いいなぁ』と思ったんです」

 成田専蔵さん(62)のコーヒーとの出会いである。その魅力に引き込まれ、多くの喫茶店に足を運んだ。しかし成田さんが他の人と違ったのは「喫茶店をやりたい」ということよりも、コーヒーの言い表しようもない魅力の理由をつきとめたいという強い想いだった。

 勉強を始めたは良いが、当時はコーヒーについて学問的に書かれた本は少なく、ほとんどが喫茶店開業に関する本などであった。自分が求めている「コーヒー学」を学ぶため、先人たちが残した古い本などを集め始める。そうして当時勤めていた会社を辞め、1975(昭和50)年23歳の時に弘前市富田に小さな「珈琲教室」をオープン。経営や収入のことは深く考えず、とにかく自分の感動したものを形にしたいとの想いからだった。

 

 始めは客もあまりなく、生活していくために自分の店の他にスーパーの軒下でやきそばやスパゲティなどをつくって販売した。朝は自分の店を開き、夕方に店を閉めて軽食を売り、当時睡眠時間4~5時間の生活を3、4年続けたという。その生活を続けられたのも、コーヒーの勉強が楽しかったからだ。

「コーヒーのことはたくさん勉強することがあって。栽培とか成分、歴史、文化史や焙煎の方法当時それらを教えてくれる所が無かったので自分で一から始めました。店のカウンターの下で勉強して。勉強するのが楽しくてしょうがなかったんです。必死で勉強したから、今でも何ページのどこに何が載ってるか全部分かるんですよ」

 

 

代表の成田専蔵さん。
代表の成田専蔵さん。
自分で造ったという焙煎機。モーターで動く仕組みで今でも焼くことができる。
自分で造ったという焙煎機。モーターで動く仕組みで今でも焼くことができる。

 

多くの人に「伝えたい」という想い

 

 店をオープンしてから4年たち、自分の勉強が形になり始めた頃、陸奥新報の連載の依頼が訪れる。タイトルは「コーヒーの散歩道」。新聞に連載してから反響が増え、段々と客も増えて何とか生活出来るようになっていった。その後大阪、京都、東京など全国のコーヒー店を取材して歩き、東奥日報にも記事を書いた。

 その中で稚内へ行く機会があった。稚内市史を見せてもらい、話をしていると「稚内は昔最初にコーヒーを飲んだ場所なんだよ」という話になった。長崎だと思うんだけどと最初は不思議に思っていたが、それから7年後、津軽藩兵たちが防人として宗谷岬などの蝦夷地へ赴き、浮腫病にかかり多くの人が亡くなった事実と、その病気の特効薬としてコーヒーが配られていたことを知る。35歳の頃だった。

 稚内や長崎に何度も足を運び、さらに調べを進め実行委員会を組織して募金を募り、1992年宗谷公園に「津軽藩兵詰合記念碑」を建立した。また91年からは黒石市の浄仙寺で「珈琲供養茶会」を催し、毎年幕末当時の入れ方を再現。その活動が「弘前は珈琲の街です委員会」の発足へと繋がる。

「稚内市史を見て、薬として命を救うために飲んでいたんだ、コーヒーってここまでするんだと思いました。私が昔喫茶店で『コーヒーにはすごい何かがあるな』と感じたもののひとつがそこにもあるわけだよね。だからそれを伝えなくちゃいけないと思いました」

 始めは人の生き死にの話を街おこしに使うのはどうだろうかという葛藤もあった。だがコーヒーで街が賑やかになり、皆が美味しいコーヒーをつくるようになればそれが先祖の供養にもなるのではないか。先祖の事実を伝えていくためにも成田さんは活動を続けている。

 

一杯一杯丁寧にいれるため、手持ちでネルドリップを使用。使用している布も手縫いしているという。
一杯一杯丁寧にいれるため、手持ちでネルドリップを使用。使用している布も手縫いしているという。

 

地域に根付くコーヒー文化

 

 宗谷岬に記念碑を建立したことをきっかけにコーヒー文化を広める活動にのめり込んでいった成田さん。コーヒーを文化として研究するため1993年に発足した「日本コーヒー文化学会」の創立にも携わり、地域文化研究委員会を担当している。

 地域の中でコーヒーを育てるためにはまず地域を知る必要がある。知るべきことは「土着信仰」「食べ物」「市民の意識」だという。

「弘前市だと岩木山をありがたいと思う気持ちはどこから来ているのか、何を収穫してどういう味付けで食べているのか、弘前のハイカラ意識とか。そこを知った上で、じゃあどういうコーヒーをつくるかが出てくるんです」

 その言葉通り成田専蔵珈琲店では地域の特色を踏まえた上でつくりあげたコーヒーを提供している。

「ローカルを掘り下げていくとインターナショナルになる。自分の地域を深く掘り下げることは、全国に通じることなんです」と成田さん。エチオピアやブラジル、インドネシア、韓国などコーヒーの良さを広めるため各国を飛び回る成田さんだからこそ実感を持って言えることに違いない。

 

コーヒーを大切にして欲しい

 

 日本ではお茶の文化があり、それはただ単に飲み物としてのお茶だけでなく、おもてなしの心や、人との交流、お互いの理解などを育むもの。それと同じくらいコーヒーも大事にして欲しいというのが成田さんのメッセージである。コーヒーをおもてなしに使ったり、大事な人のために一生懸命コーヒーをつくること。そういう飲み方をして欲しい。

「コーヒーは古来からただの飲み物ではないんです。日本には特にお茶の文化があるので、それを理解できる民俗であることは間違いない。それに日本のコーヒーって世界で一番おいしいんですよ。ピュアで水も良いし、文化もある。美味しいかどうかっていうのも大事ですが、もっと大事なのはそこから生まれる人間関係ではないでしょうか」

 

 この先仕掛けていきたいことがあるかどうか尋ねてみた。

「今を大事にすることからしか何も生まれないと思います」。そう強いまなざしで話す成田さん。

「だからうちでは来てくれたお客さんに大切に一杯をお出しする。今色々な活動が広がっているけれど、その時々を一生懸命やってきたからそうなったんですよ」

 40年あまりの時間をかけ、その時々に一所懸命やってきたからこそ、今の成田専蔵珈琲店があるのだ。

(記事内の情報は2014年取材当時のものです)

 

成田専蔵珈琲店

住所/弘前市城東北2-7-4